夏の残り香から



 あの悪夢のようなループする夏がようやっと終わり、現在俺たちは九月の部室の中でいつも通りのだらけた生活を送っている。流石に九月一日は疲労のため休みだった朝比奈さんと長門も、数日が経った今となっては当然のようにこの部室に集まってきている。ハルヒですら、なんとなく夏の疲れが残っているのかはたまた遊びすぎたと思っているのか、どちらでもないのかは知らないが何をやると言い出すでもなく静かなものだった。もっとも、今日はまだ部室には来ていないがな。
 次の行事といえば体育祭ぐらいか、と考えながらダイヤモンドゲームの盤に目を落とす。その向かいではいつもの爽やかイエスマンが赤い駒片手に悩んでいた。
 長門は定位置で読書、朝比奈さんは真剣にお湯の温度をはかっていらした。まだ暑いからであろう、そのお姿はナース服だ。しかしメイド服の時も思うんだが、その服の足下が上履きってのがミスマッチだな。ハルヒ的にはそこまでは凝る気にならないのだろうが。別に俺がこだわってるわけじゃないが。
 そんなことを考えている間に俺の番が回ってきて、朝比奈さんの作業も佳境を迎えている。急須から素早く各自の湯飲みにお茶をうつしているのだ。そういえばこの間テレビで中国茶の淹れ方的な番組をやっていたが、ああいう方面に朝比奈さんは興味はあるのだろうが。しかし大分本格的な道具が必要だったようだから、ちょっと部室じゃできないか。
 俺がほとんど勝負の趨勢を左右すると言っても過言ではない一手を放ち、ぽんぽんと駒を飛び越えていくのを古泉が困り顔で眺めている。その横に、ふうわりと暖かな湯気が動いた。
「はい、どうぞ」
 にこりと、ああこれこそ天使の笑みであり、本物の笑顔であるってな顔をして手ずから淹れたお茶を渡してくださる。朝比奈さんこそ間違いなく白衣の天使という言葉が一番似合うお方であるだろう。実際看護士が向いておられるのかという疑問においては沈黙で答えさせていただくが。
「ありがとうございます、今日も美味しいです」
 早速口に含むとまさに天上の味だね。俺なりにまともな笑顔をしてみると、朝比奈さんも嬉しげに笑われた。うむ、この穏やかな雰囲気こそが癒しだ。長門の所に真っ先に持っていったらしいところがまた素晴らしい気遣いである。間違いなく数日前までのエンドレスループに一番疲れさせられていたのは長門だろうからな。その長門はぐっと半分ほどのお茶を一気に飲んだようだった。
 古泉がお茶を飲んでどうたらこうたら言ってるのは耳に入ってこないから知らんね。
「うふ、でもまたここでお茶をいれられてほっとしました」
「そうですね、俺も朝比奈さんのお茶を飲めなくなると思うとぞっとしますよ」
「ありがと」
 朝比奈さんはお盆を抱えたまま椅子に座った。自分用の湯飲みを抱えて、ほっと一息吐く。
「俺なんか毎朝起きるたびに携帯の日付チェックしちまいますからね」
「そうなの? あたしと同じですね」
「僕は新聞の日付で確認しますね」
 古泉、お前には言ってない。朝比奈さんは手のひらでナース服の皺を伸ばしながら、
「ううんと、でも、あたしが確認するのはこの間からってわけじゃないから、厳密には同じってわけじゃないのかな」
 そう言って首を傾げるのは、今の言葉にまずいところが無かったかと頭の中で復唱しているんだろう。なるほど、そりゃ朝比奈さんの立場ともなれば毎日自分のいる時間を確認してしかるべきだろうさ。俺みたいなにわか時間の異邦人とは違う。
 しかしそれに対して俺や古泉が感想を述べる暇はなかった。ばったーんと近所迷惑な音を立てて、この部屋の主な騒音の源、ハルヒが入ってきたからな。毎回毎回注意するのも馬鹿馬鹿しくなって言っていないが、このドアが壊れたらどうしてくれるんだろうね。俺が直せと言われる気がするな、どうしよう。




小説へ