夢見る無神論者より、真面目な部分抜粋



 宇宙人としての長門有希でなく、
 未来人としての朝比奈みくるではなく、
 長門有希という宇宙人を、朝比奈みくるという未来人を、涼宮ハルヒが望んだのだと思っていたいからだ。
 そして僕だとて、僕の位置があっさりと首をすげ替えられるものだとは今は思わない。僕はSOS団副団長として大分確立されてしまった。そしてこれは自惚れのような気がするのだが、涼宮さんが今さら僕も含んだSOS団のメンバーの変動を望むとも思えない。
 ましてや彼なら尚更だろう。一般人代表として、あるいは彼自身を必要とされて選ばれた彼の席が他の人間に替わるとは到底思えない。僕だけでなくこれは彼女たちの、ひょっとしたら全校生徒が思うことかもしれない。
 彼を『鍵』だと定義したのはどこの誰だったか、もう忘れてしまった。少なくとも僕個人ではない。彼の前で語る『機関』仕込みの理論を、僕は心底納得して口にしているわけではないからだ。
 例えば涼宮ハルヒは神であるという、その途方もない信望者でありたいと願うような一つの論。
 結論から言えば僕は涼宮さんは神ではないと思っているし、神でなければいいとも思っている。
 日本に住む若者が誰もが一度は抱くような、「この世に神様なんていない」という思いを僕は小学生の頃近所で飼われていた犬が交通事故で亡くなった時に痛感していたし、キリスト教にもイスラム教にも新興宗教にも転んだことはない。『機関』そのものが新興宗教じみているという意見にはあえて目をつむらせていただきたい。
 もちろん涼宮さんに神的能力、願望を無自覚に実現する能力があることを否定するわけではない。それを否定してしまっては、僕は超能力者としての僕を全否定してしまうことになる。それは頂けない。普通と逸脱した自分に未練があるわけではないが、現実問題閉鎖空間が発生した時に対処できなければ世界の危険性は数%跳ね上がるのだし、それは僕も彼も彼女たちも、恐らく涼宮さん自身も望むべくことではないだろう。
 僕が涼宮ハルヒが神でなければいいと望むのは、以前彼に述べたように神が呑気に影響を受ける世界内には存在しないだろうという考えもあるのだが、涼宮さんが神となっては――涼宮さんがかわいそうだと思うからだ。
 こちらも実に彼女に失礼な考え方なのだが、ただでさえ僕たちは団長である彼女を蚊帳の外に置いて異常事態と立ち向かっているのだ。それは大抵において原因である彼女に不思議な存在を知覚してもらっては困るという僕たちの勝手な都合に過ぎない。本当なら不思議をこよなく望む涼宮さんに全てを打ち明けて一緒に走り回るようになれたらどんなにか楽しいだろうかと考えることもある。僕らは彼女にどうして今まで言わなかったのかとか、なぜみんな普通の振りをしていたのかとか、散々怒鳴られることだろう。だが彼女はひとしきり拗ねた後、きっと僕たちを許してくれる。団員だから特別よ、と彼女特有の照れているのに怒っている顔をして。
 ああ、もちろんそれは甘すぎる空想に他ならない。そんなこと誰も許しはしないだろうし、そうなにもかも都合良く進むとは思えない。
 そして、彼女に現状を告げることも許されず僕個人もスタンドプレーをする気になれない状況で、彼女が神でなければいいと望むのは、彼女が更に孤独になることを僕たちは願っていないからだ。
 神様なんて孤独なものだ。
 何でもできるというのは何にもできないと同じことで、何もかも思い通りになるとしたらそれはなんともつまらない世の中だろう。
 僕は彼女が適当に不満を感じながらもそれなりに日々を過ごしてくれることを望んでいる。
 孤独な神様になってSOS団の団長でなくなってしまわないように、だから僕は神を信じない。涼宮ハルヒが神であるという理論に頷くことはできない。




最初の方の2P分くらいです。キョンが出てくると途端に甘くなる。

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