食卓について



ぱかり、と軽い音を立てて開いた炊飯器の中を見て――俺はげ、と声を出していた。
普通よりやや小さいサイズの炊飯器には、食い残したご飯が入りっぱなしになっていて、ついでに保温なんてとっくに切れていて、さらについでに現在の季節気候を思い返すまでもなく、その飯粒の集合体の表面にはカビが鎮座ましましていたのだった。緑色のやつがぽつぽつと丸いコロニーを形成し、白いやつがふわりと飯の上にふりかかっているように存在していやがる。じっと見ていると食欲減退に繋がりそうで、俺はばくんと先程より重い音とともに蓋を閉めた。
失敗した、と炊飯器の前でうなだれる男ってのは端から見たら情けないことこの上ないだろうが、生憎台所に鏡など置いていないからそれを確認する術はない。
三日ぶりに開けた炊飯器の中身を、とりあえず捨てなくちゃならない。
なんで出かける前に捨てておかなかったんだと、三日前の俺と同居人を殴りに行きたい気分になった。

俺は二日ほど、実家……ってのも変だな、生家に戻っていた。母親が風邪でどうにも動けないとかで、妹と父親からヘルプコールが来たのだ。妹もいい加減家の中のことぐらいできてしかるべき年頃なのだが、まあ混乱していたんだろうということにしておく。それに、母親の看病ぐらいしに帰らないようでは孝行息子の名が廃る。もとからそんな名を冠していたわけじゃないとはいっておくが。
同居人の心配そうな視線と見舞いの言葉を受け取って家に帰ったのが三日前で、二日ほど滞在して回復した母親に感謝されてこっちのマンションに戻ってきたのが昨日。
昨日夕方に帰ってきた俺は、疲れているでしょうと労った同居人の提案で出前を取って食った。
故に、炊飯器のこともその中身のこともすっかり忘れていたのだった。
しかし、ということは予想通りとはいえ、あいつはここ三日飯を炊くことをしなかったということか。一人の時の食事というものにさっぱり頓着しないあいつは、コンビニ弁当やらなんやらばっかり食っていたんだろ、どうせ。そのくせ俺がいるときは二人で食事したいとか言うんだから、あいつはわからん。
とにかく、今日は俺が食事当番なのだった。同居人がいればあいつに捨てさせるのだが、生憎不在だ。帰りに夕飯のおかずになるようなもんをなんか買ってこいと命じてある。
これを捨てなきゃ飯も炊けないわけだ、と俺は親の敵のように炊飯器を睨んだ。正確にはその中身なのだが、あんまりまじまじと見たいものじゃない。
やれやれ、と高校の頃からの口癖を発して、俺は再び炊飯器の蓋を開けたのだった。



まあそんな感じで大変だった、と締めくくれば、向かい合って飯を食っている同居人はなんともいえない微妙な顔をした。
どうした、飯がまずかったか。
「いえ、大変おいしいです、特にこのサラダ」
トマトを切って市販のサラダの上に散らしただけだぞ、それ。
「どんなものでもあなたの用意したものなら素晴らしく感じます」
そんなことを思っていいのは朝比奈さんなみに素敵な方に対してだけだ。俺ごときに言われたんでは、高校時代俺が散々思ったことが安っぽくなるだろうが。
「で、ですね……その、そういう話題を食事中に出すのはどうかと」
「そりゃそうだ、嫌がらせだからな」
俺だって微に入り細を穿つ説明をしたわけじゃない。そんなことをしたら俺まで食欲が薄れるだろうが。
古泉が買ってきた、さつまいもコロッケとやらを口に含む。ふむ、なかなかいけるな。甘いが。
「……一人分炊くのはもったいないでしょう」
俺がまともな食事を食ってなかったことを非難していると気がついたのか、そんなことを言ってきた。
「まあな。だが、飯が残ってるのを気付いた時点で捨ててくれりゃよかったんだ」
そうすりゃカビが生えるという事態にも、それをゴミ箱に突っ込む作業も、その後念入りに釜を洗う手間もなくてすんだはずだ。
「それはあなたがしてくれたって」
「忘れてたんだ」
きっぱり言ってやると、ぐ、と言葉に詰まった古泉は箸を口に突っ込んだまま黙った。行儀が悪い。
「わかりました、僕が全面的に悪かったです、降参します」
今度は派手なリアクションでぱっと両腕を上げる。まさしく降参のポーズだ。
「わかればいい」
俺は鷹揚極まりない態度でたくあんをつまんだ。やれやれ、と古泉が肩をすくめる。それは俺の口癖だぞ、珍しいな。
「うつったんでしょう」
あんまりうつっていいものとも思えんが。
古泉は話題を変えることにしたらしく、俺が再び箸に取ったコロッケに目をやった。
「しょうゆ、ですか」
なんか文句あるのか、と古泉の皿を見てみれば、さつまいもコロッケにソースがたっぷりかかっていた。
「やはりコロッケにはソースだと思うのですが」
「コロッケにはソースかもしれん、それには俺も同意だ。だがな、さつまいもにはしょうゆなんだ」
俺はいも天にしょうゆをかけて食う男だ。その辺はおいそれと譲れん。
はあ、と回りすぎる口を回らせるでもなく、古泉はテレビに目をやった。かわいいですねという声に促されて見ると、動物番組で赤ん坊特集をやるという宣伝だった。軽く頷いて、なんとなくそのナレーションを聞いていると疑問に思うことがある。
「結構よくある話だな」
「どれがです?」
同じくナレーションを聞いていたらしい古泉はすぐに問い返してきた。
「分校に犬の新入生が来るって話だ。山羊とか鳥とかもあった気がする」
「少子化の時代ですからね」
確実に少子化の一端を担っているお前が言っても残念そうには聞こえない。いや、俺も人のことは言えないわけだが。
「いっそのこと逆に動物の学校に人間が進学したらどうだろう」
「……それは」
「まともに取るな、冗談だ」
なにやら考えるような顔になった古泉を遮る。こいつの思考癖はなかなか治らないな。
とにかく、俺は明日の夕飯を相談することにした。
明日の当番は古泉だから、あまり凝ってないやつでなんか食いたいものはないかと考える。
なんだかんだで古泉との同居生活にも慣れてきた。それがいいことかどうかまでは俺の関与するところではない。だがまあ、古泉が楽しそうに笑っているシーンが多いのだから、いいことなんじゃないかと、最近は思っている。



End.



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