授業中のミステイク
俺はいつものように頭に入ってるかまでは関与しない耳を活用させて、教師の蕩々とした声を聞いていた。
現代文の授業である。一度は声に出して読んだ方がいいということで、この教師は教科書の朗読というものをやる。優しげな中年男の声で読まれると授業中というシチュエーションも相まって子守歌にしか聞こえないのだが、呑気に寝てるやつは教室の真ん中あたりにしかいない。
何故かと言えば、彼はある程度まで自分で読むと生徒に読ませるという中学校の教師のような真似をさせるのだ。んで、そういうときに生徒をあてる方法といえば日付の出席番号を持つやつからか、窓際か廊下の列の先頭のやつと相場が決まっている。
この教師の場合、後者のタイプだった。
よって窓際に陣取る俺の前後のやつだとか、廊下側のやつなんかは眠らずに教科書を睨み続けているしかないというわけだ。
今日は運悪く窓際の列からあたるようだった。
先頭の男子は立ち上がり、所々つっかえながらなんかよくわからん、作者が子供のころの思い出を回想する、ような部分を読み始める。現代文の教科書には夏目漱石だの森鴎外だのの小説のはぎれも載っているが、さっぱり有名でないやつの作品も載っているわけで、今回はさして有名でないやつのものだった。
二、三段落読み終えると教師が止め、次の女子はわりかしすらすらと読み出した。ちゃんと目でも追っておかないとあたった時に多少気まずいから、俺はまじめに教科書を追っていた。
しばらくして、もちろん俺までに話が終わるわけはなく、俺の番がやってきた。
渋々と立ち上がり、さっぱり共感出来ない話を読み上げていく。
朗読ってのは、大抵今読んでいるところと、ちょっと先の部分を見ながら読んでいく。漢字ってのは次に続く文字によって読み方が変わったりするからな。
「そして、こい……」
まあまあ調子よく回っていた俺の口はぴたりと止まった。
待て、落ち着け、俺。ここで長々と休憩を取ろうものならハルヒに背中をつつかれるか、教師にその先の読み方を指摘されるぞ。しかもこんな、たかだか画数が五画しかないような漢字の!
教師が手元の教科書から俺に視線を移す前に、読み直した。
「……古いアルバムを手に取った。黄ばんだ表紙は……」
その後は何事もなく読み終え、後ろのハルヒにバトンタッチだ。朗々と、だが部室での溌剌さはなりを潜めた声で読み出すのをBGMにしながら、俺は自己嫌悪に陥っていた。
改行だ、変なところで改行がしてあるのが悪いんだ。
そう、ちょうど教科書では『古い』の『い』の部分が次の行の先頭に行っていたのだ。ただそれだけのことだ。だというのに、だというのに俺は『古』が目に入ってきただけで……ああもう、奴の顔まで思い浮かんできやがった。
笑えない。全く笑えない。
一体いつから俺は、漢字一つ見ただけで奴に直結しちまうような、情けない思考回路を繋いだんだろうね?
それでも、まだマシだったのは途中で気がついたってことだ。まかり間違って授業中に『古泉』なんぞと読み間違えた日にはハルヒの大爆笑と谷口のニヤニヤ笑いと国木田のなんか見透かしてるような一言がついてくるだろう。ついでにSOS団内にも言いふらされるに違いない。
そんなことにならなかったのは良かった。
まったく、こんなことを考えるのも全部あいつのせいだ。
今日はブラックジャックかなんかで憂さを晴らしてやる、と決めた頃、ハルヒの朗読はすでに終わっていた。
End.
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