トマトリゾット
どん、と目の前に置かれた皿を見て、古泉は目を丸くした。
そんなに驚くようなことかね。
「……あなたが?」
「ああ俺だとも。この家に他に手伝い妖精などいないことはお前だって知ってるだろう」
うららかな日曜の昼下がり、男二人で何やってるんだかね、とは思わなかった。ある意味ルーチンワークに等しくなってきた古泉宅での週末と違う、自宅という俺テリトリーだったことが功を奏していたのかもしれない。
ことの顛末は非常に簡単で、いつもいつも古泉宅(一人暮らし故に行きやすいのだが)に入り浸っているのもどうかと思った俺がこのイケメンを自宅に招待したまでのことだ。ちなみに今日は朝から両親妹揃って大都市のデパートに買い物に出かけている。家族孝行の息子になりたい俺としては同行することもやぶさかではなかったのだが、父親がどこか諦めた表情をしていたのからも解る通り、女性の買い物につきあっても得なことはない。どこぞの団の娘たちがわいわい騒ぎながらショッピングするのを眺めるとかならともかく。奢らされないなら尚いい。そして流石に高校生にもなった息子を無理して連れていく気もなかったらしい母親にはいはいと言われ、妹からえーキョンくん行かないのーと言われちょっと良心がうずいたかと思ったらその舌の根も乾かぬうちにじゃあキョンくんの分もお買い物できるねわーい、とはしゃがれてしまった。妹よ、お子様ランチは結構だが二人前は止めておけ。腹をこわすぞ。
朝っぱらから元気に出ていく家族を見送り、さてもう一寝入りするかと思った矢先に道路に佇む男の姿を見たときは心臓が止まるかと思ったが。一瞬幻覚かと思い、そんな幻覚見るなんてどうかしてるな俺、まあ今さらだがと自分に言い、その幻覚男がおはようございますと爽やかに手を挙げた瞬間にすることなんざ決まってる。ダッシュでその男の近くに行って頭を一発はたき、家に引きずり込んだ。
お前こんな時間になにしてんだ、と問うと早起きして時間を持て余してしまいまして、とセットも完璧な髪を撫でつけながら答えた。阿呆だ。約束の時間の二時間も前に人の家の前の道路に突っ立っているなんて完璧な阿呆だ。その割に視線が若干浮ついていて、笑顔を作る前にわずかなタイムラグがあるというのはどういうことだ。まさか緊張して眠れなかったなんてベタなことを言う訳じゃあるまいな、とは聞かなかった。
とにかく俺はそのまま古泉と共に俺の部屋に行き、俺は寝るからお前も寝てろ、と横暴極まりない台詞を吐いた。この辺自分が団長に影響されてるんじゃないかと恐れたね。友人の家に遊びに来たというにはあまりに気合いの入った服の古泉は、実に情けない顔をした。どうして解ったんです、と言うので、お前は解りにくいが解りやすいんだ、と言ってやると更に情けない顔をしやがった。
それで俺は古泉を無理矢理ベッドに引きずり入れ、俺はカーペットに寝転がった。寒くはなってきていたが、風邪はひかないだろう。背中が痛くはなるかもしれん。そして子守歌を歌ってくれれば寝ます、と言った馬鹿の頭をもう一発はたき、寝るまで手を握ってやってそのまま俺も寝た。
起きたのは腹が空腹を訴えたからだ。ああ昼か、と実に怠惰な感想を抱き、まだすやすや眠っている古泉を残して台所に行った。そして驚くべきことに、男子高校生がいる家庭とは思えないレベルで、カップラーメンが無かった。ならばと探した乾麺も無かった。しまった、サッポ○一番は先週の夜食に消えたのが最後の一個だったか。昼食に手を抜くチャンスな母親がわざわざ用意していく訳もなく、コンビニまで買いに走るというのも億劫だった。何より古泉が起きたときに俺がいなければ混乱するだろう。冷凍食品のピラフすら品切れである。
昨夜の余り物の白飯は炊飯器の中に残っていたが、まさかこれと昨日の夕飯の余りを古泉と俺で食すわけにもいくまい。多少乾いている飯はどうにか加工しなければあまり食いたいもんでもないからな。
もう一度食品倉庫を漁ってみると、ハヤシとカレーのレトルトにスープの素、ケチャップの買い置きに、おいおい洗剤まで入ってるぞ。呆れて視線を移すと、トマトリゾットとかいう文字が目に飛び込んできた。
こんなもん食卓に出た覚えはないなとぺらぺらの袋を手に取ると、どうも特売品だったらしい。三人前のが二袋あるからして、ここで二人前消えても問題はあるまい。水と飯とこの素があれば二分でできるという。これしきの加工はしてもいいか。
適当に水を沸騰させ、根こそぎよそった飯と、なんかトマト色の粉末をぶち込んでかき混ぜた。ついでに冷蔵庫に入っていた昨夜の残り物、細肉とニンニクの芽の炒め物だかを適当に突っ込む。水が多かったかと不安になったが、しばらく混ぜていると水分は飛んでいった。リゾットなんぞという食べ物と俺は実に似合わない取り合わせだが、古泉となら悪くはないだろう。
さて奴を起こすか放っておくか、しかし冷めても食えるのかこれは、と考えながら鍋から皿に赤く染まった飯を移すと、タイミングよくふらふらと古泉が降りてきた。俺を見た途端に安堵したような表情をされると、なんだ、その、反応に困る。ここは間違いなく俺の家であり、砂漠のど真ん中でもあの薄ら寒い空間でも考えることを止めたくなるような宇宙でもないのだ。起きたときに近くにいてやれなかったのは失敗だったか、などと思わせるような顔をせんでくれ。ちょっと十数分前の俺を叱咤しに行きたくなるだろうが。
「ちょうどいい、そこに座れ」
普段家族で使っているテーブルを指さすと、古泉は大人しく座った。微妙に後ろ髪が跳ねていることが、朝見た完璧なセットよりも好ましいのはどういった気持ちの作用だろうな。
そして俺はどん、と奴の前に皿を差し出した、それだけのことだ。
「いただきます」
律儀に手を合わせた古泉(だがそれは俺の真似だということを知っている)に、期待せずに食えと声を掛けて俺も手を合わせた。
そして古泉は、あろう事かスプーンで掬った一さじを口に含んで固まった。
「……非常に、その、おいしいです」
「見え透いた嘘を吐くな……」
寝起きだからかいまいち反応が鈍い笑顔の、口元が引きつっていたのを見逃さないほど俺は鈍くない。
分量が間違っていたかとやけになって大さじ掬い、口に入れた瞬間に後悔した。
これはなんか、分量どうとかじゃない、なぜなら味が薄いとも濃いとも感じなかったからだ。そう、煮ているときからうすうす感じていた薬臭さがもろに味に出ていた。トマト……これはトマトか? 辛うじて、恐らく野菜ジュースに似たトマトっぽい風味がする気はするが。母親が昨夜作ったのだから味は保証できる肉片が歯に当たったとき心底安心したね。肉の味とは素晴らしい。
「これは……不味いな」
自分で作ったものだし、どこぞのメーカーの開発者が一生懸命考えただろう味には悪いが、はっきり言って不味かった。せめて薬臭さが減っていればもっとマシだったろうに。
「あの、決してあなたの料理にケチをつけるというわけではないんですが、」
「前口上はいらん、正直に行け」
「はあ……正直な話、食べられなくはないです」
そう言いながらも古泉は腹が減っているのか、またスプーンを口元に運んだ。軽く咀嚼して飲み下す。俺も真似をして食べ、肉をもっと豪快に入れておけばよかったとまた後悔した。
「同じトマトなら、チキンライスでも作った方がマシだったな」
ケチャップはあった。鶏肉はあったかどうか解らないが。
ふ、と古泉が顔を上げた。
「作れるんですか」
「それくらいはな」
ケチャップぶち込んだ炒飯みたいなもんだ。妹がたまに食いたいと言い出すときや、母親が風邪で寝込んだときの夕飯などになる。
「では……オムライス、とかも」
「ん? 卵追加するだけじゃねーか、作ったことあるぞ」
卵の焼き方は母親に教わった。というより、妹が教わっているのに付き合わされた、といったほうが正しい。さて古泉は少しだけその目を輝かせた。
「そうですか、凄いですね」
そこで言いたいことを飲み込むのを止めろと、言ったことがある。際限が無くなりそうで恐い、と言ったときこいつの顔は笑っていたかどうだったか。
「解った、次はオムライスだな」
赤い飯は同じでも、恐らく今日のこれよりはまともな飯になるだろうよ。多分な。
古泉はえ、と数回睫毛を上下させ、それから染みこむような笑顔で楽しみにしています、と言った。
俺からすればオムライスのどの辺が古泉の琴線をくすぐったんだかは解らんが、まあ構わないだろうと思う。妹を一回くらい練習台にしてもいい。
「あ、今思いついたのですが」
「なんだ」
「卵を入れてみたらどうでしょうか、このリゾットに」
「……古泉、お前頭良いな」
もしかしたら天才じゃね? などと軽口を叩きながら台所に戻った。オムライスでチキンライスに卵をのっけるように、トマトと卵の相性は悪くないはずだ。
なぜかついてきた古泉がそれくらいなら、と言うので卵割りを任せてみたら、シンクに落っことして一つ無駄にしやがった。謝るなら俺ではなく鶏に謝れ。それから初めてチャレンジする小学生もかくや、というレベルで丁寧に卵を割り、リゾットに乗っけてテーブルに戻った。
黄身を潰して揚々と口に運び、そして沈黙。
「……卵によってマイルドな口当たりになったことは確かです」
「ああ、さっきよりは良いと俺は断言しよう、しかしだな」
端的に言えば、きっと美味くなるはずだ! と期待しすぎた感があったのだ。まあその味は確かに卵にくるまれることによってマイルドにはなったが、なんかなあ、と言いたくなる味であることに変わりはなかった。劇的な変化を望んだ俺たちが悪かったのだ。
古泉は何故か失礼します、と醤油差しに手を伸ばしていた。おいおいチャレンジャーだな。確かに生卵かけご飯に醤油は欠かせないが、生卵かけリゾットにはどうだろうな?
そろっと一口分かけて食べた古泉は、まあ美味いと叫び出しそうな表情では全然無かった。
「これは……ちょっとした味の化学反応ですよ」
「上手いことを言ったつもりか。ついでにそのレポーターの真似は少々古い」
味の宝石箱やー! と叫んでいたタレントだかレポーターだかの真似とも限らないが、とにかく古泉のチャレンジ精神には敬意を表する。俺もソースかなにかをかけて味を見てみるべきかね。
結局俺たちはなんだかんだ言いながらトマトリゾットを完食した。
もったいなかったし、空腹は最大の調味料であるという言葉を実感したね。
だが古泉は俺のその言を否定した。
「愛情こそ最大の調味料ですよ」
……それに俺がどう答えたかは想像にお任せする。その後の展開もお察し下さい、だ。
どのみち、俺が今度自宅に古泉を招いたときにオムライスを作るのは確定事項だったしな。
End.
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