一二の三で、四五六!
転じて雨降りの、告げられたのは五月の終わりだった。ゆるり地面を湿らす雨の音を聞きながら、剣道場に集められたのはいずれも上級生である。六年が六人、五年が四人、そして四年がじょろじょろと十九人。総勢二十九人の忍たまたちが集まれば壮観ではあった。
まだ当初の予定通りグラウンドであれば、閉塞感はここまで無かっただろう。普段ぴりりと引き締まる空気に満ちているはずの剣道場は、もやもやとした湿気と熱気で満ちていた。皆本金吾がそわそわと、やもすれば皆を追い出したそうな素振りすら見せる。しかし雨の中マラソンをするのならともかかく、雨中で説明を受けるのは時間の無駄である。
雨は静かに降っている。今年は梅雨が早いなと断じたのは四年は組実技担当の山田伝蔵で、教科担当の土井半助は同じく教科担当同士で集まって何やら打ち合わせをしていた。
授業開始の鐘が鳴るまでの僅かな時間、生徒たちはなんとなく整列しながらも小声で会話を交わしていた。静謐な空気が求められる道場で、大声を出して動き回るのははばかられたからだろう。僅かなりとも緊張感を漂わせているのは当代の五年ばかりで、最上級生は平然としたものだし、四年に至っては常からの呑気さがまだ失われていない。
やれやれ、と川西左近はため息を吐いた。保健委員にはため息が似合う、などと初めに言い出したのは誰だったか。三年前の保健委員長は、歴代きっての不運委員長は、ため息は決して悪いことばかりではないよと優しく言ってはいたが、実際彼にため息を吐かされていたのは同室の用具委員長の方だったと記憶しているし、観察する限りでは当代の保健委員長よりも、やはり用具委員長の方がその回数は多い。
腕を組んでとんとんと指で叩いていた池田三郎次は、そんな左近を横目で見たが話しかけることはせずに先生方ばかり注目していた。能勢久作は真緑の、昨年よりも一昨年よりも全く違和感のない色に身を包んだ六年生の方を見ている。しかし己らも、何故だか今年の制服には違和感を覚えなかったのだからお相子かもしれない。どちらも、四年時の色はあまり似合わなかった記憶しか無く、後輩に至ってはいつまでも青空の色の印象ばかりで、どうにもしっくりと来ない。
「やっぱり実習だよねえ」
五年の中で間違いなく一等のんびりと構えている時友四郎兵衛は、左近に話しかけたようだった。体育委員会に所属し続けた彼は、昔に比べると大分背が伸びた。五年の中では一番小さい左近と並ぶと、頭一つ分以上の差がある。
「この時期だもんな」
故に憂鬱なのだ、と左近は髪を後ろに払った。去年もこの季節に、上級生合同の実習授業があったと記憶している。実習自体は、五年ともなれば慣れっこだ。体力修練、基礎固めが主な下級生とは違い、上級生ともなればあちこちの城や領地に飛んだり演習を行ったりというのは日常茶飯事だった。
加えて、集められたのがおなじみの面子ばかり、と来た。委員会に所属していて、ある程度以上に優秀な、有り体に言えば画面に映れる個性の持ち主たちばかりだった。
「今年は何をするんだろうな……」
久作は、六年生から目を逸らしながら独りごちた。視線に気付いていただろう彼らは、我関せずで全くこちらには注視していない。去年は、今はもういないアイドルやらと呼ばれた先輩たちを、町三つの中から探し出すという身も心もへとへとになる課題だったので、出来れば同じという悪夢は見たくない。
「何にせよ」
三郎次はようやく、先生方から仲間たちへと視線を移した。向こう側には、話し合いを終えた教師たちがそれぞれ散っていく図が見える。
「……荒れそうだ」
「では、解散!」
山田の言葉に、普段ならば三々五々散っていく忍たまたちは、流石に動かない。全員忙しい身の上であるため、この時間で作戦の打ち合わせをするしかないのは全員がわかっている。迷惑そうな視線が向けられる前に、孫兵が剣道場の入り口へと歩き出した。
「じゃ、ここは君たちに譲るから」
せいぜいいい作戦を考えるんだね、とわざと振り向いて後輩たちを挑発する、見え見えだなあと藤内と数馬が苦笑した。
「はあーい」
「がんばりまーす!」
しかしそれに明るい声を返されて、孫兵はずっこけそうになった。しんべヱと山村喜三太の両名が、朗らかに笑っている。
「……作兵衛、後輩の教育どうなってるの」
「俺に言うな」
あいつらは一年の時からあんな感じだ、と四、五年が集合している方に突撃しようとした左門と三之助の首根っこを引っつかみながら作兵衛は切り捨てた。
「平太、しんべヱにうっかり作戦ばらすなって言っとけよ、あと忍具は貸出票さえありゃ勝手に使っていいが資材は駄目だ、奪われるなよ」
ついでのように指示を出すのに、下坂部平太はいつものくせで背筋を伸ばして是、と答えてしまった。恨めしげなからくりコンビの視線が、用具委員会の二人に注がれる。
しかし用具委員会の予算で購入した資材を確かに二人に持って行かれる訳にはいかないし、あの調子では自分たちの罠に使おうとは思うまい。用具委員長は責任感が強く、公私の違いをはっきりさせるのが好きな方だった。
「次屋先輩」
「ん。そうなるとマラソンは裏裏山までだな。それとも校内活動にするか考えとくわ」
「はい。……お手柔らかに」
「すると思う?」
近寄った四郎兵衛と会話を交わした三之助は、にまりと笑う。四郎兵衛はいささか引きつってはいたが、とにかく笑顔は作った。金吾は喜三太を窘めるのに手一杯だ。
「いいえ」
「上等」
襟首さえ作兵衛によって捕まえられていなければ、それは実に絵になったことだろう。上背は充分にある少年から卒業しつつある三之助の、柔げな目つきがゆるりと後輩に闘志を滾らせる様は。負ける気が一切無いのだと、その態度は四郎兵衛の普段眠っている闘争本能をかき乱した。
常の身体能力でなら勝てないだろうが、一定のルールにおいて、先輩を負かせるというのはあり得ない話ではない。
「団蔵、左吉! 誰が巻物を持つか決めたか!」
「いいえ、まだです!」
「答える奴があるか馬鹿!」
馬鹿も何も、決める時間が全く無かったのは百も承知で左門は問うていた。生真面目な任暁左吉の言には苦笑しつつ、二人に手を振る。
「私たちもこれから決める、お互いがんばろうな!」
ぐっと拳を握る明朗快活な左門は、後輩を励ましながらずるずると引きずられて去っていく。作兵衛自分で歩ける、と文句を言う彼が委員長になったときから自分のことを私と呼ぶようになって、加藤団蔵には違和感が拭えない。理由を問うて『六年生には私キャラがいないからだ』と答えられた日には尚更だった。大体、同級生たちの前では以前のように僕、に戻るのだから普段のままでいいのに、と少し寂しく思ったりもする。
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