たからもの



「孫兵」
 同学年の生徒たちがばらけて散らばるグラウンドの中程で、片手を挙げながら伊賀崎孫兵に呼びかけたのは富松作兵衛だった。
傍らに常の二人の姿は無く、だがそう離れてもいない。
孫兵の視界には何人かが声を掛け合う光景が映っていて、そのうち一つの塊が作兵衛の背後にいるのが見えた。
「俺と組もうぜ」
 にかりと、断られるとは微塵も考えていないような笑顔を向けられるのは悪くない。
無意識のうちにジュンコに指を這わせようとして、首筋が軽いことを思い出す。授業中だから彼女は留守番なのだ。
 三年生合同の実技授業が行われるのは珍しい話ではない。基本的に学年が上がるほどそれぞれの事情の為人数が少なくなっていく学園において、学級のみならず学年の横の繋がりも重視されるし、そもそも学級内だけでは手が足りないことも多々出てくる。
そんなわけで、低学年のうちから何回も合同で授業をしているだけのことはあって大抵は個々の力量や性質を見知っている。
 だが教師が振り分けたりくじで割り振られたりするならともかく、自由に二人組を作れと言われた時のような今回の状況では、より仲の良い相手と組みたくなるのは当然のことだ。そして今回組む相手は同じ学級以外の生徒と定められている。
その時点で、三年ろ組の迷物三人組と組む相手はほとんど決まったようなものなのだが。
「僕でいいの」
 前回も似たような授業の際に孫兵は作兵衛と組んだ。
思考としては合理性を好むくせに情に弱いところがある二人は、互いの性質と成績をある程度補い合えるだけにかなりの高評価を得た記憶がある。
「駄目なら声かけねえよ。数馬と藤内が、」
 そう言って作兵衛は背後、すなわち彼が歩いてきた方をちらりと振り向く。
ちょうど聞き慣れた声が飛び込んできたところだった。
「よし、今回は藤内と僕だな!」
「んじゃあおれ数馬とね、よろしくー」
 決断力のある神崎左門の声と、ゆったりとした次屋三之助の声だ。
作兵衛の目はその二人をやれやれと言わんばかりに見つめていたが、孫兵が見たのはその二人と向き合っている三年は組の方だった。浦風藤内が軽く頷き、三反田数馬が三之助を上から下まで眺める。そうして、二人揃って孫兵の視線に気がついたようだ。
ふっと藤内と数馬の目線が絡み、次いで孫兵に目を向ける。その瞳には、お互いがんばろうという労りの色と、申し訳なさそうな色も混じっていた。
 孫兵は静かに頷き、作兵衛の視線に気がついてぶんぶんと手を振る左門と三之助にあきれ顔でそれでも嬉しそうに手を振り返してやっている作兵衛に向き直った。
ほんの少しの距離でそれはないだろうという突っ込みは胸の内にしまっておく。
「それぞれ迷子の面倒を見るって言ったみたいだね」
「よくわかったな」
 作兵衛も孫兵に向き直る。
あちらの方向から異様な視線を感じるのは、恐らく孫兵の気のせいではあるまい。
「よろしく。作兵衛と組むのは心強い」
「俺も楽させてもらえるしな、よろしく」
 作兵衛と組むのは悪くない。委員会では委員長を補佐し、日常では迷子二人の面倒を見ることが多い作兵衛は相手を補うことが得意だった。馴染みではない相手と組んでも、そこそこの評価を得ることの方が多い。
左門と三之助は競争や組み手の相手ならともかく、今回のように裏山全体を使って行われる授業では敬遠される。失格率が最も高いからだ。誰もが方向音痴を統率できるわけではないということを、三年生は経験から熟知している。
藤内は予習に付き合わされると面倒だという思いから、数馬は不運の二文字からこれまた声をかけられることは少ない。ただし個々の能力は高い方なので組んだら組んだで文句を言う生徒などいないが。
孫兵はとにかく能力に均等性がある。ある程度何でもこなすので同学年からの評価も高いが、やはり裏山などの場所では誰もが遠巻きになる。毒虫に関わるときの孫兵に好んで近づきたい者はあまりいないからだ。
「んじゃ、先生に報告してくる」
 授業内容の簡単な説明を受けて二人組を作り、各々打ち合わせをするところまでが今日の授業だ。肝心の本番は三日後に予定されている。
組んだ相手を報告しようと帳面を持っている教師のところまで向かった作兵衛の背を見送っていると、孫兵に別の声がかかった。




「お、お前ら!?」
 ぎょっとしても仕方がない話だ。
自室で、同室の二人に縄をかけられるなど誰が想像するだろうか。普段自分がやっていることは棚に上げて作兵衛は狼狽した。
思いの外素早く、左門と三之助は作兵衛の両手を後ろに回して縛り上げてしまった。
 ぎり、と締められて作兵衛の顔が歪む。事情を知らぬ人が聞けば誤解を受けるだろうが、作兵衛はほぼ縛る方専門であり縛られる機会は授業ぐらいのものである。
縛る機会が豊富な三年生はどうかと思われるが用具委員会の仕事にも役立つことは役立つので作兵衛は現実から目を逸らしがちだ。
「やっぱり俺らの宝物は作兵衛だと思うんだ」
「だから作兵衛、僕らに隠されてくれないか」
 ぺたりと両脇に張り付いて、片手で縄の端を片方ずつ持ちながら二人が囁く。
精一杯甘くした声色で、一体何をし出すのかと思ったらこれだ。
跳ね上がった心臓が、少しずつ落ち着いていく。
「無理言うな」
「えー、大人しく着いてきてよ」
「誰にも連れて行かれちゃ駄目だぞ」
 喉でも鳴りそうだと、作兵衛はいっそ呑気な感想を抱いた。
肩を掴む二人が笑っているから、半分程度にしか本気では無いのだろう。多分。
「ただの授業だろ」
 撫でてやれる手が戒められているのはどうにも歯がゆいな、と作兵衛は表情を変えないままの左門と三之助を見返しながら思う。これは異様な光景だと頭ではわかっているが浸透しない。
刑場に引き出された罪人よりも作兵衛は神妙な気分でいた。見た目は似ている。
 そもそもたかが授業で使うだけの話で拘る必要はないし、大きさも適切ではないし、何より作兵衛など申請して教師が許可するはずもない。恥ずかしい。
 それに。
「――せっかくお前らと競えるってのに、俺だけ隠れてたんじゃつまらねえだろうが」
 組み手の授業とも鍛錬ともまた違う、今回は忍者の総合力を試すような授業内容だ。
探り、躱し、妨害し、突破する。
組んでやってもそれは楽しいだろうが、こうして対峙する機会もまた大事だった。
 作兵衛も無論授業に参加しなくてはならない生徒の一人だ。
いないとなれば孫兵がにこやかに文句を言うだろうし、全て最初からわかっていたことだ。それでも左門と三之助がこんなことを言い出したのは、別行動が少しだけ不安だったからに他ならない。
お互い組んだ相手に不満があるわけでは全くなくても、作兵衛がいなければつまらない。他の誰かが見られる表情を見られないのは、残念なことだった。
四六時中共に過ごしているわけではなくても、三之助は実技授業中の作兵衛の生き生きとした目が好きだし、左門は躍動する手足が好きだった。そういうことだ。
「作兵衛授業楽しみなの?」
「おう」
 三之助は作兵衛の肩に顎を乗せて、若干不満そうに問う。
「僕たちがいなくてもか!」
「お前らには負けねえよ」
 ぐりぐりと肩に額を押しつける左門の顔が見えないのが気になって、作兵衛はごつんとその脳天に頭をぶつけた
。 がばりと勢いよく顔を上げた左門にぶつからないように引くと、三之助の側頭部にごん、とぶつかった。
 無性におかしくなって笑い出すと、釣られて二人も笑い出す。元からの距離が近すぎるせいだが、今更誰も気にしていない。
ひとしきり笑い終えると、だから、と作兵衛は切り出した。
「お前らに勝つ為にもちゃんと隠すもん決めとけ」
「作兵衛がそう言うなら」
 期せずして二人の発言がぴたりと重なった。
真似するなよと言い合う言葉まで類似で、作兵衛は微笑ましいと目を細めながらもそろそろ手が縛られたままなのに飽いてきていた。




戻る