いわゆるひとつの



 朝、と言うには少し遅い時間だった。昨日一年生から託された地図を見直しながら歩いていた作兵衛は、その地図を畳んで懐にしまう。私服姿で、念のためにと作ってきた弁当が入った風呂敷包みをかけている。
 普段は制服姿の忍たまたちが行き交う学園内にも、ちらほらと作兵衛と同じように私服姿が目に入る。
 本日は休日だった。
 生徒たちは思い思いに、買い出しに出かけたりアルバイトに精を出したり鍛錬をしたり掃除をしたりしている。
 その中の一人である作兵衛は、昨日揃って外出届を出しに行った人物と待ち合わせをしていた。問題は、彼が本当にそこにいるか、である。
 進める足の下で、小石と土がこすれ合う音がして、作兵衛は己の未熟に眉をひそめた。普段から足音を潜める必要は無いが、学園内では訓練をしておきたいのが忍たま心だ。気もそぞろになっている原因にはとっくに気付いていたので、作兵衛はふ、と軽く息を吐いた。
 もうじき、正門が見えてくる。
 いつも通りにほうきを持って門前を掃き清めている小松田の向こう側に、塀に寄りかかる姿を確認して作兵衛は思わず小走りで駆け寄った。そうでもしないと、こちらに気付いた相手がどこかに走り去りかねないからである。
「悪い、待ったか?」
「いいや?」
 塀を軽く突き放して身を起こし、作兵衛の眼前に立った左門は、にっかりと笑ってみせた。
「今来たところだ!」
 それが嘘であることを、作兵衛は知っている。今日は左門と出かける約束を前からしていて、何故か左門が出発前別々に行動したがったのだ。
 しかし左門を放っておいては町に出かけるどころか、正門前で待ち合わせすら出来ないだろうと知っていた作兵衛は、ちょうど野草と薬草の見分け方についての予習をすると通りがかった三年は組の藤内と数馬に左門を押しつけることにした。二人は快く、かどうかはともかくそれを引き受け、ここに左門を置いていったのだろう。その間作兵衛は食堂に寄って握り飯を作成してきたので、少し時間があったはずだ。
「……そうでもないだろ」
「まあな、しかしこれもお約束、らしいぞ?」
 二人で出門表にサインをすると、小松田が朗らかに門を開け、手を振って送り出してくれる。いってらっしゃーいと間延びした挨拶が聞こえなくなるところに来て、左門はそっと作兵衛の手を握った。
「逢い引き、のな」
 常よりもずっと声量を抑えられた囁きに、作兵衛の頬が微かに血色を増す。
「意味深な言い方を……」
「だって事実だろう」
 はあ、と額に手を当ててため息を吐く作兵衛に、左門は至って当然の顔で返した。こちらも私服姿で、四幅袴から伸びる足が眩しい。温もり始めた空気の中で頬に当たる風は涼しく、繋いだ手がどうにも温かかった。
「お約束って誰に聞いたんだ」
「団蔵が、乱太郎ときり丸としんべヱと話しているところに行き当たってな! 町での流行らしいぞ」
「はー……よくわからん」
 手を繋ぐのに他意はない、と作兵衛は誰にするでもない言い訳を心の内で重ねた。単純に、はぐれないように繋ぐことならいつだって作兵衛からすることだ。
 ただ今回は、左門が離すまいと指を絡めてきていて、そこからついと視線を上に向けると当の本人がん? と笑む。どうにも柔らかなそれが見慣れなくて、作兵衛は手を振りほどいて逃げたくなる。だがその手を離すことは出来ないと、作兵衛本人が良く知っていた。
「……そんなに嬉しいか?」
「嬉しい!」
 満面の笑みの左門に抗う術を、作兵衛は知らない。そうかよ、と答えるのが精一杯だった。そんな作兵衛のためらいを知っているのかいないのか、左門はとにかく上機嫌だった。
「二人っきりだからな!」
 ぐ、と返す言葉に詰まる作兵衛は、数日前左門と約束をした日のことを思い返していた。




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