毎度のお騒がせ



 男は、混濁した意識の中でどうにか正気を保とうと努力していた。突っ伏した体のせいで胃の腑は重く、せめて力尽きるのなら仰向けになっておくべきであったと後悔もする。
 しかし、自分がここで倒れたまま追いはぎに遭う訳にはいかないことも男は重々承知していた。なればこそ誰でもいい、まともな人間が通りかかるまでは意識を飛ばすわけにもいかない。男はひたすらに思考を巡らせていた。
 どうせ死ぬのならば町で評判のかわいい子がいると噂のまんじゅう屋にでも寄っておくべきだった。いや、行きつけのうどん屋で食べ納めもしていない、煮魚など食べたのはもうどれぐらいの前の話であっただろうか――
 聞く者があったならば他に考えるべきことがあるだろうと問い質したくなるようなことを延々考え続け、男はついに待ち望んでいた通りがかりの人間を視界に捉えた。
 追いはぎでも盗賊でも浪人でもない、まず間違いなく町人か農民であろう、それこそ最適の人材だった。
 たった一つ、そう、相手が子供ばかりであったことだけが残念だったが。


「らんたろーう」
 腕を頭の後ろで組んで悠々と、それでいて小銭が落ちていやしないかと地面を鋭い目で睨んでいたきり丸が最初にそれに気がついた。
「うん、しんべヱ」
 ちらりと視線を走らせた乱太郎の眼鏡が光を反射するのを眩しいと思いながらも、しんべヱは精一杯の緊張感を柔らかい顔に貼り付けて頷く。
「お約束だね!」
 きりりと凛々しい眉毛を見つつ、きり丸は歩く速度をゆっくりと落とす。どう出るか、計るのは乱太郎の顔色だ。
「うーん……保健委員としては放っておけない! って言いたいところなんだけど、やっぱりお約束として」
「むやみに倒れてる人に関わると」
「トラブルに遭う! ってね」
 仲良く台詞を三分割すると、三人はおもむろに足の先に力を入れた。前方の地面からはわざとらしく「うう……」だのと呻き声が聞こえているが、ここは良心の呵責よりもお約束に逆らっておきたい。
 そんな純然たる子供の悪戯心で、三人は道端で倒れている人間を抜き去る勢いで走り出した。飛び出る乱太郎に、後を追うきり丸、それからしんべヱが倒れた人間を越えようとした矢先。
「ちょっと待てよ!」
「うわわっ!?」
「しんべヱ!」
 しんべヱの高い声が聞こえて、乱太郎が慌てて急停止をかける。きり丸が駆け戻るが早いか、しんべヱの足首を咄嗟に掴んだ男を見下ろす。
「えへへーごめんね、転んじゃった」


(冒頭より)




「わかったよ……俺らもついてくぞ、それでいいな?」
 後半は三人組に向けてだ。左門と三之助はしたり顔で頷いたが、乱太郎たちは手放しでは喜べない顔をしている。
「それはありがたいんですが……」
「すっごく失礼だとは思いますけどぉ」
「手綱の方……頼みますね……」
 きり丸は少し困り顔で、しんべヱはぽよんと眉を下げて、乱太郎はすがるように。
用具の一年三人とはまた違う反応に、作兵衛は力強く頷いた。
「任せろ」
 言うが早いか、どこからともなく取り出した縄を左門の腰に繋ぎ出す。
「これやると目立つから微妙だけどな……前尾行実習の時にやったら注目されて減点食らったからお前らも気をつけろよ」
 真剣な横顔を見せる先輩に、一体どうしてそんなことをするのはあなた方だけですなどと言えるだろうか。
「作兵衛、街道で縄はどうかと思うけど」
 変な人に見られる、と自分の方にも来そうな作兵衛を三之助が牽制する。
それに同調して、今にも結び目を作り終わりそうな作兵衛の手を左門が取った。
「そうだぞ、はぐれるのが不安なら手を繋いでいこう!」
「はあ? ……ああ、まあいいか……」
 いいんですか。喉から出かかった突っ込みを辛うじて飲み込んで、三人は先に立って歩き出すことにした。そうすれば少なくとも、先輩たちの視界に入るからはぐれることはないだろう。その後ろで、縄をどこへともなくしまった作兵衛の反対側に三之助がいそいそと移動している。
 多分、三人で行動するのがあまりにも普通で、慣れてしまっているのだ。後輩の前だからと突っぱねる選択肢が出てこないほどに。
「先輩たちは、どうしてここを歩いてたんですか?」
 ぐるりとしんべヱが振り返ると、おお、と二人の間に挟まれた作兵衛が返す。その手が繋がっているのを微笑ましい、と思えるかどうかは見かけた人間の年齢に寄るだろう。
「学園に帰る途中だったんだ……途中でこいつらが逆走しなけりゃな」
「でもそのおかげで三人に会えたんじゃないか!」
 僕たちの手柄だ、と何故か偉そうな左門に一瞥をくれて、しかし作兵衛が否定することはなかった。
いつまで経っても帰ってこない、またあの一年は組の三人組だ、と学園で噂を聞くよりはこうして実際見ていた方が気が休まる。
 毎回はごめんだけどな、と内心呟く作兵衛の両手は迷子か縄か金槌かで大抵いつも埋まっている。


(おそらく今回一番いちゃついているシーン)




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