Who Are You?


薄暗い路地裏だ。いつ来ても薄く引き延ばしたような闇が漂っている道を、ローグは歩いていた。どこの町にも一つや二つはありそうな裏通りだが、ここは特にローグギルドの連中が好んで集まるところだった。
そのローグは特に用事があったわけではない。最近ではローグギルドで昔つるんでいた連中よりも、新しくできた仲間の方が大事だったし、もうその連中とはしばらく顔を合わせていない。ただ近道だっただけだ。
いかがわしい店やら非合法極まりないドラッグストア、すれ違うと肩が触れ合うほどの道には似つかわしくない人の多さ。気を抜いていれば財布どころか腕の一つも無くなると言われているが、実際そんな騒動が起きているのをローグは見たことがない。ギルド所属の連中は人が思うより常識的なのだ。もちろん、ぶっ飛んだ人間がいないわけではないが。
さて、その道で、何の問題もなくすり抜けるはずだったその道で、見慣れた姿を発見したのは全くの偶然だった。
「……おいおい」
思わず声に出す。道端に寝っ転がっていたチェイサーが不審げにこちらを見た。
全くこの道に似つかわしくない法衣を堂々と着こなし、誰はばかることなくしゃんとした姿勢で道を歩いている。呼び込みもたかりも、何故かその男には声を掛けなかった。
ととと、と数歩駆け足で背後から追いつき、とんと肩を叩いた。
「おーい、何やってんすか」
振り返った、ほとんど水色に近い青い髪をしたプリーストは、ああ君か、となんでもないことのように呟いた。
「別になにも」
言葉は硬質な響きを帯びていた。常ならぬ態度にローグは疑問を覚える。
「いや……ここがどういうところか?」
「それくらいわかっているよ、子どもじゃない」
「どしたの」
プリーストは数瞬瞳を動かしてあたりを確認し、ぱちりと瞬きをした。
「まー色々あってねー、気を抜くわけにはいかなくってさー」
そして普段の、全くだらけた態度に一瞬だけ戻ってすぐに口を閉じた。
「あっそ、まあいいけど」
この時のローグを端的に表すなら――魔が差した、としか言いようがない。出来る限り上手く他人との境界線を意識してきたローグは、この時確かに己が好奇心に負けたのだった。
「気を付けろよ、――アシュレイ」
ふっと、視線の温度が変わった。
「その名で呼ばれるのは好きじゃないな」
「知ってる」
普段プリーストが冒険者として使っている名は偽名である。だが、それは本名とほとんど変わらない名前で、偽名としては意味がないのではないかと本人の弟が首をひねっていた。だがプリーストは本名を嫌う。
「だったらいっそ、全く違った名前にすりゃ良かったんだ。どうしてそうしなかった?」
普段柔和な人畜無害プリを装っている面から笑顔をそぎ落とすとこうなるのか、とローグはこの期に及んで感心しながら眺めた。そして驚いたことに、実に華やかに彼は笑んだのだ。ただし、その両の目だけは笑っていない。
「『アッシュ』とあの人はぼくを呼んだ」
笑んだ唇が蕩々と言葉を紡ぎ出す。
「『兄さん』と呼んだのは私の愛しい兄妹たちで、母は私を『アシュ』と呼んだ」
「だったらそれだけでも良かったんじゃないか」
「……教えてあげよう」
特別だよ?
「あの子はね、何か改まったときには、私を『アシュレイ兄さん』と呼ぶんだ……さあ、君なら」
軽く両手を広げた。ローグはただその顔を見ていた。
「愛しい子が呼んでくれる名を捨てられるかい? 例えそれが世界で一番嫌いな人間からもらったものであっても、大切な人たちから呼ばれるためにある名を捨てられる?」
冴え冴えとした目がローグを見ている。
アッシュグレイ、名が先かその瞳が先か、普段はぼやけて柔和な印象に一役買っている瞳の色が、こうも鋼的な色を帯びるのをローグは知らなかった。まだ明けやらぬ冬の早朝に降りる重い霜の色を思い出させた。
「……さあな、俺にはわからないよ」
ローグは明言を避けた。誰が呼び始めたのかも知らない己の名に今では愛着があるが、プリーストのそれとは全く異なるものだ。
「そう」
プリーストははなからローグの答えに興味など無かったように答え、踵を返した。
「私はもう行くよ、これでも予定が詰まってるんだ」
「なあ」
一歩踏み出した足を、プリーストは止めた。
「あんたがなにやってるか知らないし聞きたくもないけどさ、俺、あんたが何かしら企んでることは知ってるよ」
「さあ……どうだろうね?」
前方を見据えたままプリーストは答える。最初から明確な答えを聞くつもりもなかったローグはそれには応えなかった。
「それともう一つ」
相手から見えないだろうとわかっていてぴんと一本指を立てる。
「……あんたのそれ、どっちが本性だ?」
今度は、プリーストは振り返った。
口元にはいつもの、ゆるやかな笑みが浮かんでいる。
「どれも」
そう言い残して、今度こそプリーストは去っていった。
ローグはよっぽどその背中に、あんたのその弟はあんたに嫌われてると思ってる、と言いたくなったが、止めた。
すでに踏み込みすぎていた。
プリーストにもその弟にも何やら事情があるのは知っていたが、それを深く追求するようなことはしなかった。知られたくないことかもしれないと思ったからだが、一番の原因は面倒だったからだと言えば二人は怒るだろうか。ローグはいつだって、最後の一歩を踏み出せないままだ。

それでもその言葉を投げつけて鼻をあかしてやりたいという気持ちがどこかに残っていたのか――ローグは最大級の地雷を踏むはめになるのだが、それはまた別の話である。


End.



シリアスだとこんな感じですがギャグだとこんな感じ↓です。
「いやーそれでねー、あの時の弟くんはねー」
「その話32回目」
「えーそうだったー? じゃあねー、十歳の頃近所に悪ガキがねー」
「それは18回目! ああもうどっか適当な誰か捕まえて喋ってこい! あんたならピロートークの相手に事欠かないだろうが!」
「いやそういうわけにもねー」
「じゃあなんだって俺なんだ!」
「多分嫌がらせ」
「……俺は今生まれて初めて友人に殺意を抱いた」
「おやー、友人だと思ってたんだねー、初耳ー」
「やかましいこのブラコン!」







ぶち切れ☆お兄ちゃん


思ったよりも簡単だった、と暗がりの中で男はほくそ笑んだ。傍らには、両手両足を縛られてついでに猿ぐつわまでかまされたクルセイダーが横たわっている。その瞳は閉じられ、深い夢の中をさまよっていた。ほどけた長髪が床にわだかまる。
男は自分の所業に満足して人を待っていた。
実に簡単なことだった。お人好しのクルセイダーは、病人がいるから運ぶのを手伝って欲しいという己の虚言にあっさりと騙され、隙を突いて使用した薬の効果であっさりと眠りに落ちた。彼に対するメッセージも順当に届き、後は待つだけだ。
かんかんかん、と甲高い足音、アインブロックの町の床は品に欠けるが、こういう時には役に立つ。待ち人の足音だと理解して男は立ち上がった。

ぎぃ、と倉庫の扉が開かれる。その隙間から入り込んできたプリーストは、ゆっくりと息を整える。ぱんぱん、と乾いた拍手の音が倉庫に響いた。
「ようこそ」
男には一瞥だけして、プリーストの視線はあちこちを探し回る。床に転がったクルセイダーの足を見つけて、軽く息を吐く。
「……随分と不調法なお招きだねー?」
クルセイダーを視線から隠すように立った男の顔を見て、プリーストは吐き捨てるように口にした。見覚えがある顔だ。大聖堂で、時々妙な目でこちらを見てきたのは知っているが、まさかこんな暴挙に出るとは思ってもみなかった。
「簡単に貴方を呼び出せる方法が思いつかなかったもので」
男は手袋に包まれた手ごと肩をすくめてみせた。
「何が目的かなー?」
「何をしてくれる?」
完全に己の優位を確信した男の台詞に、プリーストの目が細められた。
「そうだねー、あなたが望むなら」
がらりと声色が変わる。雰囲気そのものが、塗り替えられたように変貌を遂げていく。

「跪いて靴の裏でもお舐めいたしましょうか?」
「それとも何かお持ちいたしましょうか。大司教の首? 国王の心臓? 聖女の耳飾り? 生まれたての赤ん坊? ああ、さもなくば私自身であがないますか? 目玉をくり抜きましょうか、鼻を削ぎましょうか、耳を千切りましょうか、唇を剥がしましょうか? この指ごと腕をもぎ取りますか、足を切り落としましょうか、性器を差し上げますか?」


なんだこれは、と男は驚愕する。淡々と列挙するプリーストの顔に、普段の好青年の面影は微塵も感じられない。そうだ、こんなはずではなかった。
礼拝には欠かさず参加し、聖堂の雑事も嫌な顔一つせずにこなし、面倒見が良く人望が厚く、いつも朗らかに笑っている――そんなプリーストが、時々非道く酷薄な目つきになることを男は知っていた。だがそれは、育ちの良さから来る選民意識程度のものだろうと思っていたのだ。ただ、そんな目を持つプリーストを、思いのままに懇願させたら面白かろうと思っただけだった。何でもするから、と彼が大切に思っているらしい弟をダシに服従させたいだけだった。
だが、なんだこれは。

「――さあ、貴方は」
私の弟にいくらの値をつける?




「……きて、起きてー」
揺さぶられる感触と共に呼びかけられ、クルセイダーは目を開いた。目の前には、心配そうな兄の姿がある。
「に、兄さん? どうしたんですか」
「それはこっちの台詞だよー」
そう言われて辺りを見渡してみれば、そこは飛行船乗り場に備え付けられたベンチの上だった。こんなところで寝入っていたのかと、クルセイダーは失態に赤面する。
「たまたまジュノーに用があったから良かったようなものの、危ないよー?」
「はい、すみません……」
ジュノーの飛行場だ、間違いない。人通りもかなりあっただろうから、邪魔にもなっていただろうし、他人様に迷惑をかけていたかもしれない。クルセイダーは反省した。
だが、はてと不思議に思う。自分は眠る前何をやっていただろうか?
「あっ、近くに病人さんはいませんでしたか!?」
「ううんー、一人だったけどー?」
「そうですか……確か、病人を運んで欲しいと頼まれて……ええと……」
「運んだ後で疲れて寝ちゃったんじゃないー?」
「そ……うですかね」
「そだよー、家に帰ってゆっくり寝た方がいいよー」
「そうしましょうか。兄さんは?」
「私は用事が終わってないからねー、明日には帰るよー」
「はい、伝えておきますね」
ではまた、と手を振って、時折首を傾げながらもクルセイダーはイズルードへの定期便の受付まで歩いていく。その歩みに後遺症が残っていないことを確認して、プリーストはやっと息を吐いた。
しかし安堵してばかりもいられない、彼にはまだ後始末が残っている。プリーストは弟の後ろ姿を目に焼き付けるように確認してから、アインブロック方面の搭乗口まで歩き出した。
「……遊んで欲しければ遊んであげたのにねー?」
――人にとって最大の弱点は、諸刃の剣となり得る。それを利用しようとするのならば、覚悟が必要だ。その刃を自らの身で受ける覚悟か、はたまた時間をかけてその刃を鈍らせるだけの覚悟が。時間をかけて切れ味を落とさせる。それでも成功するかどうかは五分五分か。
諸刃の剣に手を出したという点では、プリーストも男も何も変わらないのかもしれない。
それでもうまくやってみせるさ、とプリーストは頬に笑みを刻む。失敗した者の末路を覚えておくことも、必要なことの一つだった。