旅立ちの日――兄
私はいわゆる妾腹だった。
とはいえ、産まれた時から父の正妻と母と共に暮らしていたというのは、まあ珍しい方だろう。
母と彼女は仲が良かった。
私は小さい頃から、跡継ぎとして教育されていたが、悪くない暮らしだったと思う。私が上手く育てば育つほど母の立場は良くなるし、彼女も誉めてくれるからだ。
そう、私の初恋は彼女だった。
父から唯一譲り受けた青髪と、似て異なる色をした父の妻。
恋心を自覚した瞬間に、それは一生叶わない恋となった。
あの頃はまだ幼かったものだから、母にもそれを冗談交じりに言ったことがある。
母の返事も冗談めいてはいたが――目は笑っていなかったことをはっきりと覚えている。
『私のあの子に手を出したらいくらかわいい息子でも容赦しないよ』
母が、彼女に何らかの執着を抱いているのがよく分かった。しかし、そんな母を笑えない立場になってしまったのが、あの子が生まれた次の日だった。
私が7歳になって少し経った頃、彼女は私と半分血の繋がった弟を産んだ。
母は自分のことのように喜んだが、私は少々複雑だった。彼女の子が男ならば、私は不必要な存在ではないのかと、柄にもなく悩んだものだ。それが全く杞憂に終わったのは、あの子を見た瞬間だ。
弟は、非常にかわいかった。
それはもう、見た瞬間に二回目の恋に落ちたほどに。
冷静になって考えてみれば、首も据わっていなければ目も見えていない赤ん坊がそんなにかわいいはずはないのだが、弟だけはかわいい。もちろん、その後産まれた妹もそれはそれはかわいかったが、恋には落ちなかった。そのころはすでに三歳になった弟が私の足につかまって一緒に妹を覗き込んでいたのだから、ずっと弟の体温が近くにあったわけだ。
同じ青髪でも色には違いが出るのか、私より少し濃い色をした青い髪が好きで好きで、似合うから伸ばしてごらんと言ったら本当に伸ばしてくれているその性格が好きで。ポニーテールを勧めたのはうなじがちらちら見えてかわいいからだなんて絶対言えないけど。
まだ幼いころに妹とじゃれ合う姿なんて垂涎もので、母と一緒に飽きることなく眺めていたものだった。
弟の顔が成長するにつれて父ではなく、彼女の方に似てきたことに気が付いた時は狂喜した。どちらに似ていても気持ちは変わらないとはいえ、幼い頃の恋敵とも言える相手と初恋の相手、どちらに似ていた方が嬉しいかなんて問いはばかげている。そう言っても女顔になるでもなく、二次成長以降は微かに彼女の面影を残した、程度の男の子の顔つきになった。
遠慮深い性格のせいか、少し眉を下げて困った顔で笑う姿が一番好きだ。
ああもう、思い返すだけでもかわいいなあ。
はっきり言ってこの執着は度を過ぎていると、二十歳をとっくに超えた今でも思う。
だけど、だからこそ誰にも気付かれていないはずだった。
弟のために道化の仮面をかぶって過ごしていることも、のらりくらりと見合いの話を断り続けていることも。弟に必要以上に近づきそうになった人間を、男女問わずこっそり排除しているのは、流石に弟にだけは絶対に知られてはならないけど。
見合いの話を断って、跡継ぎになる資格も捨てたのは承知の上だ。あの子が嫌がるならその時はその時、とりあえず未来の選択肢は多い方が良いだろう。
珍しく早寝してしまい、うっかり弟くんにお休みを言い忘れた日の翌日だ。
かわいい妹が部屋に尋ねてきて、きづいてないのかしら、とちょっとおしゃまな口調で切り出した。
「んー? どうしたんだい私のかわいい妹ちゃんー?」
「それはやめてちょうだい」
かわいい子をかわいいと言って何が悪いんだい。
「お兄ちゃんが出ていったわ」
……なんだろう、朝からとっても笑えない台詞を聞いた気がする。
「まいすいーとしすたー、もう一度ー」
「それもやめて……お兄ちゃん、ぼうけんしゃになるんですって」
「…………初耳だよ!? しかも私に何の断りもなくっ!」
ぼちぼち跡継ぎの件は耳に入っているかなーとか考えた矢先にこれですかっ?
しかも何!? 愛しい兄に挨拶もなく!?
「わたしがとめたの。兄さんはいっしょになって出ていきかねないでしょ」
む、我が妹ながらなんて賢いんだ。その洞察力は偉いぞ、この子もきっと将来大物に、ってそうじゃない。
「当然だよ! 冒険者なんてどんな輩がいるかもわからないし、怪我でもしたらどうするのさー! あの子はあーんなにかわいいんだからいくら不測の事態を想像しても足りないよっ!」
「落ち着きな、ばか息子」
かわいい妹の後ろから顔を出したのは、かわいいとは言えないけど美人の範疇には入るだろう母だった。
「母上! あなたも止めてくれなかったのー!?」
溺愛する彼女の息子を、私に負けず劣らず母はかわいがっていたはずだ。
「あの子が決めたことだよ……寂しいけどね」
ふ、と目を伏せる表情はまあ見られるものだけど、言ってることも正しいけど!
抗議しようと口を開きかけた時、突然きっと睨まれた。
「大体ね! あんたが妙なこと画策してるから悪いのよ! あの子ったら自分が跡継ぎになるって話を聞いて、あんたの居場所が無くなるんじゃないかって出ていったそうじゃない!」
う、ばれてましたか。
え、でも待って、何その嬉しい情報。
「……私のためにー?」
「あの子はそうは言わないだろうけど……ってあんた、何笑ってるの?」
「笑ってないよー」
ああでも、勝手に顔がほころんでしまう。
弟くんが私のことを考えてくれただけでも嬉しいのに、私のために何かしてくれるなんて、もう兄さんは天にも昇りそうな心地ですよ。
「もとからぼうけんしゃにあこがれてたけどね」
かわいい妹の声も今日ばかりは素通りして、愛しい幻に浸って……いる場合じゃなかった。
「母上ー」
しまりのない口調はわざとだ。こうするだけで、どこかぼーっとしてるように見えるのだから使わない手はない。
「私も冒険者になりまーす」
「言うと思った……」
「だからないしょにしたかったのに……」
何故だか、私の言葉に二人揃って肩を落とした。
かわいい妹の顔が見れなくなるのは残念だけど、弟くんに会えなくなるなんてまっぴらごめんだしー。
さあ、そうと決まれば色々とケリをつけなきゃいけないことが山積みだ。
流石に全部押しつけて私も家出してきた、なんて言ったら弟くんに怒られちゃうからね。
「さー、まずは父上から説得するよりは口うるさい叔父上からだねー」
よーし頑張っちゃうぞーと気合いを入れる私を、ため息を吐きながら母とかわいい妹が見ている。
弟くんのためならどんな労力も惜しみませんとも。
なんとかして兄弟出奔を問題なく収めてみせようじゃありませんか。
全ては、君といる未来のために。
結局、色々と決まるまでに要した時間は数ヶ月で、あの子の怪我をすぐ治してあげようとプリーストになったのは良いけれど……冒険者登録名がわからずに耳打ちも出来ず、やっとこさ再会した時には、あの子はもう他の誰かに恋をしていた。
あーあ、ずうっと守ってきたのに、ついに誰かに取られちゃったか。
でもまあ、私が思ってるのは勝手だしね、兄なんだからずーっと一緒にいてあげられるし。
愛しい弟の恋愛成就はきちんと祈ってあげましょう。
不埒な妄想ぐらいは許してねー、弟くん。
End.
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