ゆりかご



 作兵衛が眠っている。
 言葉にするとなんと短いのだろうと、三之助は彼の傍らに寝そべりながら思った。外は夕陽も傾き、そろそろ食事当番が呼びに来る刻限だ。だというのに、作兵衛は午睡を貪っている。原因が己に無いとは言えないので、三之助は作兵衛を挟んだ向こう側を見た。
そちらには左門が、これまた嬉しそうに作兵衛の寝顔を見ている。きっと、自分も似た顔をしているのだろうと思いながら、三之助は小さく左門に声をかけた。
「作兵衛、起きないなあ」
「まあいいじゃないか、夕餉まで寝かせておこう」
 間髪入れずに、同じように潜められた声が返ってくる。三之助としては不本意なことに、迷子、で括られることの多い左門との間には、いつからか不文律が存在した。元から気は合う方だったのだ。それがまさか、好きになるものまで同じだとは思いも寄らなかったが。そうして二人して、富松作兵衛という存在を抱きしめるようになってから、もう随分と経つ。
 一年の頃から同室なのだから、そろそろ見飽きただろうと言われるはずの寝顔も、一向に飽きが来ないから不思議だ。しょうがねえなと苦笑混じりに笑ってくれることも、本気で心配して怒ってくれることも、泣き出す寸前で唇を噛むこともないけれど、穏やかな寝顔も三之助は好きだった。それならきっと左門もそうに違いないと、確信すらしている。左門が作兵衛のほとんどを好いているのを三之助は知っていたし、恐らく三之助が覚えていない彼の傷まで、今把握しているはずだった。のんびりと眺めているだけのように見えてそこは忍者のたまご、観察力には優れている。
 左門は珍しく口を閉じて、幸せそうに作兵衛を眺めている。視線が時折顔の上をなだらかに移動し、首筋を辿り、また頭のてっぺんに戻る。その顔が決してにやけてはいないので、左門はいい男だなあと三之助はぼんやりと思った。
 自分はと言えば、同じく作兵衛の見飽きない顔を眺めている。赤らんだ鼻だとか、眉根ばかり男らしい眉毛とか、今は見えない瞳を覆うまぶたの意外な白さだとか、触ったら見た目通りに柔らかい丸いほっぺただとかを。そういえば束ねたままだった髪を見て、ぴんぴんと跳ねるそれが後ろから抱えたときに喉元にあたってえもいわれぬ感触になることを思い出した。口元が緩まると、左門がふと作兵衛から視線を移す。
「いやらしい顔をしている」
 にまり、と笑った左門に、先程までの多幸感は残っていない。同輩以外が見たら面食らうような、そういう顔をしていた。そんなとき三之助は、きっと自分も似たような顔をしているのだろうと思う。二人は鏡ではないのだから互いを映し合うことなどしない。反射もしない。ただ、左門の瞳に映り込む自分を見るまでもなく、何故だかその顔が自分に酷似していると思わせられるのだ。
「気のせいだ」
 同じく笑ってみせれば、作兵衛ならば嘆息しただろう。だが相手は唯一無二の相方だ。作兵衛を相手に感じるものとは少しばかり違うが、三之助は左門だって大事だった。
「いつも無理させているからな」
 自室だからというのもあってか起きない作兵衛を見る左門の目はなんというのだったか、と三之助は考えた。多分作兵衛なら教えてくれるだろうが、真っ赤になって答えてくれないかもしれない。情緒を解するのは苦手分野だったので、三之助は数ヶ月前に授業で習ったいつくしむ、という言葉を思い出せなかった。
「左門が迷子になるから」
「全くだ。三之助もだが」
 だから自分は迷子ではない、とお決まりの文句を返す必要性が見つからなくて三之助は反論をしなかった。左門が迷子になってそれを探す作兵衛も毎度のことなら、作兵衛がいなくなって探している三之助のところに作兵衛が駆けてくるのも毎度のことなのだ。
「たまにはゆっくりさせたいものだが」
 難しいなと言って物憂げな表情をする左門など、他の連中は見たことがあるのだろうか。思案に暮れる神崎左門など、即断する不破雷蔵と同程度に珍しい。
「でも、どうせ疲れるんなら、さあ」
 作兵衛に聞かせるわけにはいかない。三之助はぐっと声を落とした。
「俺らのせいがいいよな」
 左門はまるい目をぐぐっと見開いて、それから片眉を上げた。器用な奴だと見守る先から、小さな同意が返ってくる。
「同感だ」
 作兵衛の安らぎも苦しみも、悲しみも喜びも全て自分たちに理由し付随するものであればいいのにと、二人は半ば本気で思っている。そんなことは無理だと知っているからこそ、本気で思っている。
 例えば、こうして眺めている彼の寝顔だって、他の人なら少しすれば飽きてしまうだろう。できる限り静かに、でも離れていたくないと思うからこそ三人で寝転がっている。作兵衛のどこもかしこも愛おしいのだけれど、他の人から見ればただの忍たまにしか見えない。不思議だ。
「作兵衛の良さがわからないなんて、不幸だよなあ」
「その通りだが、好都合じゃないか」
 そんなものは僕たちだけが知っていればいい、と言って左門がした悪い顔だけは、三之助が似たようにできない表情だ。三之助がしようとすると、何故だか表情が抜け落ちてしまう。
 作兵衛の良さなど人に教えるつもりはないし、わかりはしないし、わからせはしない。
 それも二人の共通認識の一つで、たまにこうして口に出して安堵する。他に誰かが名乗りを上げたところで、もう作兵衛が自分たちから離れていけないことなど承知の上で、こうして確認する。
 二人の不穏な空気を察したのか、はたまた空腹が襲ってきたのか、ぱかりと作兵衛が目を開けた。
「……ん……?」
 開けたばかりの目を細めると、あっという間に眉間に皺が寄る。その様を笑いながら、左門と三之助は作兵衛の寝起きの顔を覗き込んだ。
「おはよう作兵衛」
「もう少し寝ていてもいいぞ」
「いや……つか、メシは……」
 ぼんやりとした口調は、まだ覚醒しきっていない証拠だ。のんびりと体を起こした三之助は、自然な流れに作兵衛に口付けた。ふに、と触れる細い唇は、寝起きのせいか温かかった。
「……!?」
 はむ、と下唇を唇の先でつまんでから離すと、作兵衛に睨まれる。頬に赤みが差していた。
「おまえ、な……!」
「作兵衛作兵衛」
 怒鳴るほど覚醒する前に、左門はくいくいと作兵衛の袖と注意を引く。きらきらした目を見れば、三之助だって咄嗟に騙されそうになるぐらいだ。
「僕にもして」
 真っ直ぐに見つめられて、作兵衛が断れるのは実はそんなに多くない。ぐっ、と言葉に詰まった作兵衛は、一瞬三之助の顔を睨んだかと思うと、左門の首を掴んで引き寄せた。重ねて、少し左門が遊んで、それから解放する。作兵衛の頬はすでに真っ赤だった。
「寝起きになにやらせんだ!」
 がばりと上体を起こした作兵衛が今度こそと叫ぶ。
「おはようの挨拶」
「三之助だけなんてずるい」
 三之助と左門が順番に仲良く言ってやると、毒気を抜かれたようだった。がしがしと後ろ頭を掻いて、口の中でぶつぶつと文句とも言い訳とも取れない言葉を呟いている。
「そろそろ当番の奴らが呼びに来るんじゃないか」
「顔を洗いに行くか? 作兵衛」
 話を逸らしてやると、三之助と左門の顔をじっと眺めた作兵衛は、はあと嘆息して諦めたように首を振った。
 お咎め無しだった、と三之助が左門を見れば、こちらも同じように三之助を見ていて、二人顔を見合わせて笑う。なんだかわからない作兵衛も、わからないなりに苦笑していた。

 色々な顔が見たいんだから、しょうがない。
 作兵衛がかわいいのが、悪い!

 二人の心の声が聞こえないのは、作兵衛にとって幸いであったのかどうか、定かではない。




戻る