乱闘



どしゃっ、とスーパーのビニール袋が地面に落ちた。もちろん、中にこれでもかと詰め込まれた食材と共に、だ。
あーっ、とでかい声で眼鏡の少年が叫ぶ。
「ちょっ、あんたこれどーしてくれるんですか! これ今月最後の食材だったんですよ! これで一週間保たせないとうちは飢え死にするんですよコルァァァァァァァ!」
「んなもん奴らに言いなせェ」
薄い色の髪をした、真選組の制服がしっくりと馴染む青年は抜き身の真剣を提げたまま対照的にテンションの低い声音で返す。
てめぇら舐めてんのか、と叫んだ浪人が襲いかかってくるのは自明の理だった。

事の始まりはタイムセールの帰りだった眼鏡の新八が、見廻りの最中だった真選組の沖田と出会ったことにある。尤も、沖田は半分さぼりだったが。
ばったりと遭遇して、知らぬ仲でもないので多少立ち話をして、新八がお仕事は、と聞くと自主的に見廻りルートを変えてみたら一緒にいたはずの隊士とはぐれた、と沖田が答え、それわざとじゃないのかと冷たい目をして、それならそろそろ行った方が、と言いかけた刹那だった。
「真選組一番隊隊長、沖田総悟とお見受けする」
などという月並みな台詞を伴って、攘夷浪士と思しき連中に囲まれたのは。
それから幕府の狗め、とこれまた月並みな言葉を発しながら飛びかかってきた一人を沖田は咄嗟に避わし、とばっちりを受けないように慌てて下がりかけた新八にぶつかった。その結果買い物袋が落ちて、冒頭へと繋がる。

「大体この人たちあんたに用があるんでしょうが! なんで僕まで巻き込まれてんのぉ!?」
「あちらはあんたが無関係だとは思ってくれてなさそうですぜィ。まあ諦めて大人しく冥土へ行っちまったほうが楽かもなァ」
「なに人を勝手に殺してんだあああ! あんたそれでも警察か!」
新八は口で文句を言いながらも、違うと言ってもわかってもらえないことは重々承知していた。よって、たまたま持っていた木刀を持って応戦に当たっている。実際沖田に手助けなどいらないだろうが、こうでもしなければ自分の身が危ない。
沖田の方に向かっている浪人の方が圧倒的に多いので、こちらはすぐに死ぬというような切羽詰まったものでもない。横薙ぎに来た刀身を体の横に立てた木刀で受け止めると、がっ、と鈍い音がして止まった。そのまま相手の手首を強かに叩く。取り落とされた刀を蹴り飛ばし、側頭部を容赦なく打ちつけた。
なるほど、と自分は常に三人以上の敵を相手にしても余裕がある沖田は頷く。視線は時折新八の方へと注がれている。
際だった強さはない。
だがそれは沖田本人や環境、新八の周りの環境から見ればの話だ。道場の跡取りというのもまあ頷ける、正統な道場剣術は一通りこなしているらしい身のこなし。そういえば、凄まじい剣客と謳われた柳生家の先代の皿を割ったのもこの少年だった。そのほとんどがお膳立てをした万事屋の主のおかげであったとはいえ。
この程度の腕ならば、雑魚相手ならそう気にすることはない。だからあの旦那も連れて歩けるのかと妙に感心した。
例えば隊士と与させても、一人相手ならまあ勝てるんじゃなかろうかという腕前だ。真剣では駄目だろうが。
そして、と沖田は目の前の敵を袈裟懸けにしてから目を凝らす。
確かに基本は道場剣術だが、ところどころが違う。沖田自身もしないような動きだが、どこかにでたらめな節のあるそれはあの銀色の男に酷似していた。そこに銀の影を見たような気がして、ふ、と沖田は息を漏らす。
「とんでもねぇマーキングしやがる」
どこの獣ですかい旦那ァ、と今はいない銀の男に問いかけると、ぴしりとした殺気を感じた気がした。


「っだああ、疲れた……」
「眼鏡のくせによくやりますねィ、俺ァさっさと逃げて誰か呼んでくるもんだとばかり」
「その手があったか! なんで教えてくれないんすか!」
「……普通気づきますぜィ」
ごろごろと横たわる攘夷浪士の、三分の一にはまだ息があった。これで残党も聞き出せるかね、と沖田は口に出さずに思う。普段はほとんどその場で死んでしまうので、よく気にくわない上司に怒られるのだ。
屯所への連絡は済んでいる。誰かが通報したらしく、すでに人出はこちらに向かっているとのことだ。
「まぁ一応感謝の意は伝えておきますぜィ」
「欠片も感謝してなさそうですが。……別にいいですよ、沖田さん一人だって楽勝だったでしょう」
ぶすっとした新八は疲れているのだろう、声にどことなく張りがない。
「そりゃそうですがねィ」
「そーでしょ。ってことで」
新八は黙って右手を差し出した。沖田は首を傾げる。
「食材弁償してください」
「……明日は明日の風が吹きまさァ。天変地異でも起きて依頼がくるかもしれねーぜ?」
「うちの依頼は天変地異レベルの確率かよチクショー。そんなもんに縋ってるほどうちには余裕がないんです。買いだめした米しかねーよ」
「米がありゃなんとかなりまさァ」
「ならねーよ! 神楽ちゃんだって流石にたくあんとかふりかけとかは要求してくんだよおおおお!」
「勝手に腹減らしとけィ……って、ちょい待った」
沖田は思案するような顔をした。なんすか、と今度は新八が首を傾げる。
「するってぇと、これは万事屋の食料で?」
「? そうですよ」
全く当然の事じゃないかという顔をする新八に、多少なりとも突っ込みたい気持ちが芽生えた。
――あんたのうちはいつから万事屋になったんですかィ。
だが何故か口に出す直前で諦め、沖田は新八が落とした袋を拾い上げた。なんとか乱闘で踏まれはしなかったらしいが、はみ出たネギが無惨に路上に落ちている。ネギは何故か二つに折れていた。他にもいくつか散乱していて、なかなか悲惨である。
「まあ、中身確認しなせィ」
ばっと飛びついた新八が中身をチェックする。血の臭いが漂う場で平然としていられるのだから、なかなかに図太い。
「うわ、豆腐が崩れちゃってる……せっかくのセール品が、ってああ! 袋破れてるし!」
「ネギは折れてますしねィ」
「ネギは最初から折ってあるんです、袋から飛び出さないように! ああどうしよう、本気で! いっそその人たちの懐漁るか!」
「警官の前で堂々と犯罪予告たァいい度胸だねィ」
「うるさい元凶」
やれやれ、と沖田が肩をすくめ、いくらかだったら弁償してもいいか、などという実に珍しい、それこそ天変地異レベルの感情を起こした時だった。
「よー、新八ぃ。何やってんだ」
「あ、銀さん」
着流しを着崩した銀色の髪をした男が、のんびりと歩いてきている。やる気の無さそうな顔つき、死んだ魚の目。普段通りのそれが、沖田をとらえて瞬間冷凍された。
「よう旦那ァ、ちと新八くんに公務の邪魔されてましてねィ」
「しれっと嘘を吐くなあああ! 僕があんたに巻き込まれたんでしょうが!」
気が付かない振りをして嘘を吐く。予想通り噛みついてきた新八に満足して銀時を見ると、ぼりぼりと頭を掻いている。
「あー……あんまりそういうことしないでくれる、沖田くん」
「不可抗力でさァ」
「まあ不可抗力っちゃそうですけど」
ぶちぶちと言う新八には、銀時の目は見えていないのだろう。
「このままいると面倒なことになりそうだな、帰るぞ、新八くーん」
「あ、実は、買い物が」
しょぼくれた顔で袋を指さすと、銀時もそれを見てあー、と気の抜けた音を出した。
「んー、しゃーねえ」
銀時は懐を探ると、珍しくも厚みのある財布を取り出した。
「ほれ、買ってこい」
その中から数枚の札を渡され、仰天した新八はそれをまじまじと見る。
「あ、あんた……どーしたんすか、なんか悪いものでも食ったんじゃ」
「銀さんをなんだと思ってんだ。ほれ、パチンコで大勝ちしたんだよ。ったくよお、こっそりパフェでも十杯ぐらい食おうと思ってたのによ」
「そんなにはありません。てかこっそり食う量じゃねええ!」
「まあまあ。ほれ、行かなくていいのか? セール終わっちまうぜ」
「あ、そうでした」
セールの一言にあっさりと言葉の矛を収め、新八は破れた袋を手に取った。それを銀時が横からかっさらい、ぱちぱちと瞬きをした新八はありがとうございます、と笑んだ。
「じゃあ沖田さん、邪魔してすみませんでした。怪我が無くてよかったです」
「あ? あァ、あんたもですぜィ」
「ありがとうございます。じゃあ、また」
軽く頭を下げて、新八は小走りで去っていった。大江戸ストアまではそんなに遠くはない。残されたのは色味こそ違えど薄い髪色の男が二人。
「……旦那ァ、あんたいつから見てたんで?」
「さあて、なんのことやら」
「とぼけんでくだせェ、自分に向けられた殺気間違えるほどふぬけちゃいませんぜ」
ふう、と銀時はため息を吐く。
「たまたま乱闘シーンに遭遇したんだよ、まあ大丈夫そうだったからほっといた」
「そりゃまた珍しい」
あんたもっと過保護だと思ってやした、と言えば、過保護だよ俺ぁ、と返事が返ってきた。黒いブーツのつま先でその辺に転がっている浪人の脇腹を蹴り上げる。
「見守るってのは慣れなくていけねーや」
「しかもかっこつけて金まで渡しちまいやしたからねェ、しばらく夜遊びも行けないんじゃないですかィ?」
「さてね」
そんときゃそんときだ、と嘯いてみせる男の唇の、両端は上がっている。全て計画通りとでも言いたげな横顔が、なんとなく沖田は気に入らなかった。
「じゃーな」
そう手を振って、片手で破れた袋を提げたまま銀時は歩き出した。先程新八が歩いていった方向だ。
全く嫌になりまさァ、とため息を吐く。
「旦那ァ」
呼びかけに銀時は振り返らなかったが、足を止めた。
「今度お詫びの品と弁償金持って伺いますぜィ」
「そーかい」
結局振り返らないまま、ひらひらともう一度手を振って銀時は今度こそ去っていった。いやに遅かったと感じるパトカーの、耳慣れたサイレンの音が代わりに近付いてくる。
これからの事後処理の煩わしさと、その後のお宅訪問の楽しさを思い浮かべて、沖田は息を漏らした。




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